古今東西あらゆる経済制度を採用した社会においても、下働きする人間の労働力というのは、奴隷をその代表として、必要欠くべからざるものであった。
しかし、その下働きの人だけで世の中が回っていくかと言うと、それは無い。
橋をかける、荒野を開拓する、大規模な事業の推進には、指導者の存在もまた必要だったのである。
ここで忘れてはいけない事は、指導者の数なんか少しで良いと言う事だ。
戦争がない平和な世の中では、ある人種中や部族内に一定の割合で出てくる『仕事せずブラついてる男』も全くの無用物で、誰も彼もとにかく仕事をさせて職場に収容してしまおう、と言うのが、昨今の資本主義諸国家における治国の一大テーマとなっているのである。
歴史を省みても、貧乏な暇人は社会に仇なすばかりでろくな事をしない。
ならば、国民をあまねく労働者に仕立て上げて鎖に繋いでしまおう、と、練り上げられたシステムが用意されていることは全く不思議ではない。
⇒僕たちは物語の無い時代を生きている【日本という学歴社会の成り立ち】
⇒質問【給料に差がある理由】企業ごとに収入(年収)に大きな差があるのはなぜか?
国民を労働者に仕立て上げ、鎖を繋ぐ
ここで、日本国憲法に謳われる国民の三大義務を引っ張り出してみる。
一に曰く、教育。(※子どもに教育を受けさせること)
二に曰く、勤労。
三に曰く、納税。
実に、見事なベルトコンベアー構造になっている事にお気づきであろうか。
このシステムに、無垢な子どもを投げ込むとする。果たして、学校教育を受ける。
将来は立派な労働者になって、たくさん働いて、たくさん納税しましょうね、そう言う思想に染められ、ベルトコンベアーの出口から、ころーんと労働者となって出て来る。
勉強を頑張って偏差値を競い、良い大学を卒業して、良い会社に就職する。仕事を頑張って出世を競い、ゆくゆくは係長になって、課長になって、最後に部長になれればいいなあ、と思う。
まさに国家が描いた絵の通りの洗脳が入った模範例だ。
教育して、働かせて、税金を取る
国家はこの労働者型の国民の生産に血道を上げる。
なぜなら、このタイプの国民こそが、最も激しく働いて社会に労働力を供給するし、国家は税金や社会保障費を吸い上げられるからだ。
節税する為に一家に一つは合同会社を持ちましょうね、みたいな話、学校は死んでも教えない。
労働とお金の根幹は時間だからビジネス始めるなら自分の時間を費やさない業態にしましょう、とか絶対教えない。
どうしても社長が働かないといけない業態ならば、仕組みで補助して自分が動かずに済む工夫を入れましょうか、みたいな話も聞いたことが無い。
いやしくも商売を教えると標榜する大学の商学部ですら、触れもしない。
勉強して高学歴目指せ、資格取れ、手に職付けろ、就職しろ、安定はいいものだ、そのような話なら、学校でたくさん教えてくれる。
学校の目的は、いや、日本国が標榜する『教育』の究極目標は、忠実で有能で愚昧な労働者の育成にある。飛び抜けた才能や指導者やリーダーを育てるつもりなど、最初から念頭に無いのだ。
教育して、働かせて、税金を取る。
そう憲法が高らかに謳っているのである。
参考:
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どれをしつけるために大事なのは考えさせないこと。
この本を読んでいて、なんか既視感があるなと思ったら、この国の仕組みだった。
この国の仕組みっつーか、大勢を動かすとき、これが効率のいい方法なのかもしれないな。
⇒【社長向きか、勤め人向きか】社長に向いてるやつは同調圧力に屈しないやつ
⇒【行動する人、しない人】紙にペンで書く習慣が、両者を分かつ
⇒政治とは何かを、説明できるか? 【意志を持つ人、持たない人】