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【貧乏人はお金を貯められない】非モテに恋愛術を説いても、貧乏人に資産形成法を説いても、結局は徒労になる理由を考察する。

質素倹約なお金持ちを見て、「俺はああはなりたくない。人生を楽しみたい」と揶揄する貧乏人がいる。

貧乏な人たちってのは決まって我慢ができない。
お金があったら使ってしまうタチなのだ。

もちろん、あなたもお金持ちになったのであれば、倹約である必要はない。
ただしそれはお金持ちであるからできることだ。

「お金持ち→消費」の流れは簡単にできる。
当たり前で、お金がたくさんあるからだ。

しかし「消費→お金持ち」は無理だ。

お金持ちから貧乏になるんは簡単でも、うじゃうじゃ消費している貧乏からお金持ちになるのは無理なのだ。

今回は、「なぜ貧乏人は貧乏人たるか」所以について話をする。

まあ倹約してお金を貯める人生、消費して快楽に流れて楽しみを人生、どっちもどっちなんだろうな。

資本家と労働者、価値観の違い

資本家が大切にしている価値観は、
・倹約
・勤勉
・再投資
であると言う話をした。

生産を拡大し、自分の商品を更にたくさんの人に売りたいと言う事が願いであり欲望である。
自由に遣えるお金があったら、新しい生産設備を作るのに遣いたい。

故に贅沢品を欲しいとは思わないのだ。

労働者が大切にしている価値観は、
・強欲
・消費
・虚栄心

良い服を着たい。
良い小物を持ちたい。
良い車乗って、良い家に住んで、年に何回かの海外旅行は必須で、子供の教育にも湯水のようにお金を遣うのが正解だと考えている。

「お金を遣いまくれる人が素晴らしい人である」と言う価値観を持っている。

 

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テレビや雑誌から流れてくる価値観

この価値観は、TVや雑誌などから溢れてくる。

TVや雑誌は、

「俺たちが言う通りにお金を遣ったら、他者から尊敬されたり女にモテたりするよ」

と、この世界を説明してくれる。

美しい見た目の男女らが、楽しそうに文明を謳歌している映像が映し出され、

「こっちの世界に来たいなら、このグッズを買え」

と、リアリティもって語りかけてくるのである。

買えば、ああなれる。

お金さえあれば、買える。

ああ、お金を遣いたい。

だからお金が欲しい。

実に短絡的なプロセスだ。

同じ資本主義世界の中でも奉じている思想と行動様式が異なると言う事である。

 

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仏教なんて所詮エリートのもの

ところで、話は変わるのだけど、我々日本人にとって馴染み深い宗教に仏教がある。

開祖のお釈迦様が悟りをひらいた経緯はだいたい以下の通りだ。(違ってたらすまん)

貧乏人は腹が減って苦しい辛い。勤め人も通勤地獄やおこづかい制やセックス不足が苦しい辛い。
お金持ちもこの先財産を維持できるのか不安で苦しい辛い。

王様も他国から攻められはしないか暗殺されないかで苦しい辛い。

お釈迦様は、誰もがその人らなりに辛いと言うことに気がついた。

殿様みたいな恵まれた境遇の人でも辛い。なんでか?

それは感情をコントロール出来ていないからだ、と。

感情をコントロールして、腹が減ったことに苦しみを感じなくなれれば、人は苦しみから救われる、苦しみから逃れるライフハックみたいなものを説いた訳だ。

だが、悟りを開くためには、厳しい修行が必要だし、肉食っちゃダメだし、セックスしてもダメだ。
苦しみから逃れるには、楽しいことに楽しみを感じてはいかんと言うのである。

ところが、多くに人には生活に追われて厳しい修行なんか出来ぬし、腹減って飢え死にする人がいるのに「俺は腹減っても苦しくないよ」なんて、言えたものじゃないのだ。

元祖仏教とは、所詮はエリートのためのものなのであった。

 

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感情のコントロールなんてほとんどの人は出来ない

お釈迦様が人間を苦しみから救うために開いた仏教は、時間をかけながらも東アジア全体に伝播した。

ところがである。

仏教は広まったかのように見えて、実は広まっていない。

政治家などのエリート層は仏教に帰依するものの、下々の階層まで浸透しないのである。

なぜか?

「厳しい修行によって感情をコントロールせよ」と言われても、それが出来ない人間が居るからである。

ご承知の通り、本場のインドでは庶民の間で広まっているのはヒンズー教であった。

エリート層は仏教、庶民はヒンズー教、という住み分けである。

ここからが本題なのだが、日本の仏教。

飛鳥時代に入ってきた仏教は、聖徳太子とか蘇我氏とか、日本の政治の中核になるような人々の間で信仰された。エリートの為の仏教である。

奈良時代、聖武天皇は怨霊にビビりまくるという弱い性格の持ち主えあられたため、仏教の力で怨霊の祟りを鎮めようと物凄い頑張ったお方なのだが、この頃の仏教も庶民まで浸透していない。

全国に国分寺や国分尼寺を置いたのも、怨霊鎮圧のための装置であった。

お釈迦様は「大仏を造れば怨霊が鎮まる、天皇家は守られる」なんて言った覚えは無いに違いなかったろうがね。

平安仏教と言えば、最澄の天台宗、空海の真言宗があるが、お坊さんは厳しい修行に打ち込んでいた。依然として貴族階級がメインである。

時代は進み、中世の仏教。いわゆる鎌倉仏教。

これが興味深い。

鎌倉幕府の三代目執権の北条泰時(※シヴィライゼーションⅥの日本のアイコンは北条時宗)は熱心に禅宗を信仰していた。

座禅を組んで、感情のコントロールの修行をする。お釈迦様の教えに

結構近いと思う。

北条泰時は、素晴らしい人格と優れた政治手腕を持った、パーフェクトな人間であったらしい。修行の成果もあったのであろう。
エリート教育を目的とした仏教である。

 

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大衆向け仏教の登場

ところが、中世には庶民のための仏教なるものが現れた。

「南無阿弥陀仏」

を唱えれば死後極楽にいける、と説くのである。

このお手軽さ、このインスタントな教義が、庶民の間に物凄い勢いで拡散していった。

常陸の国(今の茨城県)に唯円坊というお坊さんがいて、

「本当に南無阿弥陀仏って唱えるだけで極楽行けるんですか?それガチですか?」

と、わざわざ京都に居る親鸞上人のもとまで、教えを確認しに行った人が居た。

もうお爺さんになっていた親鸞上人は、

「ガチやで、南無阿弥陀仏って唱えるだけでええよ」

と答えた。

唯円はそれでも気になって

「せめて、経典読んで仏の教えを知らないといけませんよね?」

と聞いたが、

親鸞上人は、

「そんなもん一切要らへん。南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽に往けるねん」

と答えた。

唯円はマジかなどと思いながら、

「セックスはしてもいいのでしょうか?」

と聞いた。

親鸞上人は、

「どんどんパンパンしなさい。ほんまに南無阿弥陀仏と唱えるだけやから」

と答えた。

と、まあ、これは歎異抄という本の話である。

ちなみにセックスのくだりは僕の創作であるが、親鸞上人は片手では収まらない数の奥さんを貰っており、70歳過ぎても子どもを作っていたので、おそらく上の様に答えたに違いないと思う。

このように、仏教にもエリート向けの仏教と、大衆向けの仏教がある。

 

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現代の資本主義も、「大衆向け」の扇動がある

仮に、資本主義を一つの宗教としてみよう。

資産形成法と言うのはエリートにしか実践できない教義である。倹約、勤勉、再投資。

大衆にいくら倹約と勤勉の資産形成法を説いても、結局は出来ない人が出てくる。すぐにお金を浪費しちゃって、タネ銭はいっこうに貯まらない。

ならば、大衆相手には大衆向けに、「ウダウダ考えずにお金使いまくろうぜ!」と説くのである。強欲、消費、虚栄心の教えである。

これなら大衆でも実践が容易だからだ。

 

お釈迦様が説いた元祖の仏教は、厳しい修行と禁欲を経て、精神をコントロールを身に着けた後に、苦しみから救われるのである。

本人がある程度頑張らないといかん。

一方で、日本の大衆に支持された一向宗は、南無阿弥陀仏と唱えるだけで死後極楽に行ける、と説いた。

一切の努力は要らない。絶対他力により救われるのである。

 

楽な方を信じた人の末路は、とても悲惨なものであった

その後、一向宗がどうなったかはご存知だろうか?

まず、織田信長の石山合戦によって瀕死の打撃を加えられた。

その後、徳川家康によって東本願寺と西本願寺に分割され、お互いを憎しみ合うように仕組まれた。まさに、分割して、統治せよ、である。

ちなみに、石山合戦の頃の一向宗門徒は、

「仏敵を殺せば極楽往生、戦って死んでも極楽往生」

という指導を受けていた。

石山本願寺に建て込もった門徒たちは、ろくに飯も食わせてもらえず、ろくな武器も防具も無く、根性と信仰心だけで、最新兵器を擁する織田信長の軍隊と戦わされるハメになった。

喜んで戦い、喜んで飢え、死にまくった。

織田信長は異常なこだわりをもってして、一向宗の門徒たちを皆殺しにして行った訳である。

開祖の法然上人も親鸞上人も、「そんなこと言ってねえよ!」の話であろう。

「誰でもできる!」

「努力は要らない!」

「簡単!」

それを信じて自分の命を預けてしまった人たちの末路は、悲惨なものになるようである。

 

まあ、どっちが幸せかはわからんがな

さりとてだ。

お釈迦様の説いた元祖仏教の道を突き進み、肉食妻帯を禁じ、セックスしないで遺伝子が絶えてしまうのもまた『悲惨な末路』と言うことが出来るのである。

どっちもどっちなのかもしれない。

ただし、お釈迦様の仏教徒の方は、行こうと思えば、南無阿弥陀仏の方の仏教徒になれる。逆は無理。

資本家は商品を作って作って売りまくる事が最高の喜びである。

金儲けのために、積極的に質素倹約の生活を送る。

自分の商品をもっと作ってもっと売りたいがため、メディアを通じて

「商品を買いまくることは良いことだ!消費するのは良いことだ!ときめかなくなったグッズは捨ててしまえ!」

と、繰り返し発信する。

勤め人は、情報を受けて、商品が欲しくてたまらなくなって、買う。

この構図も、どっちが幸せかは分からない。

資本家はお金をパーッと遣ってしまうことを馬鹿だと思っている。不幸な事なのかもしれない。

勤め人はお金をパーッと遣えば最高の気分になれる。単細胞だが、幸せな事である。

とっちもどっちである。

だが、資本家の側の人は、お金をパーッと遣って愉しい側の精神には比較的簡単にアクセスできる。だが、逆は無理だ

貧乏人に資産形成法を説いても、どうやっても倹約が出来なかったりするし、非モテにナンパを教えても、まったく地蔵を克服出来なかったりするのである。

をはり。

 

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