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【ナンパと歴史】"西行法師"ラブレターナンパ代行で生計を立てた男

歴史上にもナンパで生計を立てている人がいた。
まあ現代でいうナンパ講師的な。

人より長けている恋愛テクニックを活かし、それを生業とする。
昔も今もそういう男ってのはいる。

ナンパ塾や作家をしている零時レイさんだったり、僕でいうところの白熱教室だったり。

今回は歴史上のそういう人の話。

by カエレバ

西行法師

西行法師の話をしようか。

西行法師というのは平安時代末期から鎌倉期の人だ。

もともとは佐藤義清(のりきよ)と言って、若い頃は北面の武士であった。

藤原氏の出であるから(田舎の藤原だけど)、家柄も筋目正しく、言うなればおぼっちゃんであった。

彼は天才的なナンパ師でもあったので、宮中の警護をしながら女房たちを次々に即って行った。

和歌でナンパする

新規開拓はもっぱら和歌ナンパであった。いわゆるラブレターナンパである。

義清朝臣(のりきよあそん)の性根は、要するに勤労意欲の低いダメ人間であったらしい。

都会に憧れて京都に出て来たものの、武士勤めもだるいし飽きたし、実家の領国に帰れば農作業あるし帰りたくないしで、けっきょく武士を辞める事にした。

どうやって食っていくか?

策はあった。和歌ブーメランナンパの代筆師である。

非モテの代わりにラブレターを書いてあげる

北面の武士をやっていた頃、宮中界隈では聞こえた凄腕ナンパ師となっていた義清朝臣は、藤原家つながりの非モテ公達(きんだち)に血縁ツテがたくさんあった事も手伝って、非モテの代わりに恋文(和歌)を書いてあげていた。ちょっとした手すさみのつもりであったろう。

ところが、義清朝臣の代筆の効力で、意中の女房とセックスできた非モテ藤原貴族からはもの凄く感謝され、食べ物とか着物など、目のくらむ様なお礼の品を貰ったのである。

しかも、お礼されること度々であった。

「こりゃあ俺、ナンパで食っていけるわ」

義清朝臣はそう計算したに違いない。

 

 

鎌倉期の武士像

ここで鎌倉期のことを少し補足する。

「武士と農民」と言うと、お前たちはすぐに江戸時代のことをイメージするかもしれない。

武士は支配層であり有閑階級であり、お録を頂戴して、少しばかり役人仕事をしつつブラブラ生活していて、一方で生活物資は農民が生産し、支配階級の食い扶持を支えていた、と。

鎌倉時代の武士と農民との関係は、江戸期とはちょっと違う。

平安末期当時は日本の国土の大半が原野であり原林であり、大開拓時代であった。

荒れた原野を開拓して米が取れる田んぼに造成した人間が、その土地の所有者であり、いわゆる武士であった。
生産者って意味で言うと、鎌倉期の武士は実質的に農民そのものなのである。

言われた事だけをやる羊の様に無気力な農民とは違い、夢とロマンとビジョンに燃え、開拓可能の新天地を求めて勇躍する農民が、平安末期から鎌倉期の武士の実像なのだ。

野盗や山賊みたいな奴らが自分の田んぼを荒らしに来たら、命懸けでこれと戦い、自分の切り開いた土地と財産を守ったのである。

義清朝臣は、実家がやってる野良仕事や武技の稽古が嫌いであった。北面の武士の仕事も、最初は都会の雰囲気を含めて楽しかったが、慣れるとかったるくてしょうがなかった。

出家して坊さんになった西行法師

なので、出家して坊さんになった。
西行法師の誕生である。実家とも縁を切り、妻子も捨てた。

んで、出家してニートになって何をやってたかと言うと、あいかわらず宮中の女房たちとセックスしまくっていて、非モテの藤原貴族の和歌代筆をしながら、ブラブラ暮らしたのだそうな。

お前、ぜんぜん僧侶やないやんけ。

名家の出であり、色々としがらみもあり、彼なりに悩んだであろうが、思い切ってそれを捨てて、自分の好きな事で生きて行く道を選んだ西行法師は、楽しそう人であるなあと思う。

 

をはり。

後記

冒頭でも述べたように、好きなことを活かして生きていく人は、昔からいた。

「好きなことで生きていく」
特に最近はそんな人が目立つようにもなった。
僕の白熱教室なんかまんまそれだし、もっと西行法師に近いイメージでいうと、零時レイさんとか。

まあでも普通じゃないよ。
そこらへんの趣味レベルの人が言ってる「好き()」では生計が立てられないことがよくわかる。
ほんと、狂気ってやつ。

 

【告知】

零時レイさんとの対談オーディオ。
ナンパの技術一点突破でお金も手に入れてしまった人。

ナンパのおかげで今は経営者もしているらしい。
そんな零時レイさんにお話を伺ってきた。

 

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