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【サラリーマンの起源】稲作が伝わった時代に、勤め人が誕生した。

今の時代の勤め人システムは、稲作時代が根源になっている。

その日暮らしの狩猟採集時代だったのに、一気に日本全国「農耕」が広まっていった。

 

そのうち、”飢えた狩猟採集民”が、農耕をやっている人に「働くのでお米をください」と願い出る。
そうして雇われ関係が出来上がる。

どれだけ頑張って働いても、もらえるお米(給料)には増えない。

今回はこの国の勤め人システムが生まれた経緯の話。

 

⇒【Voicy文字起こし 一覧

 

今回紹介する書籍。
狩猟採集から農耕に至った人類の歴史を知れる。

勤め人というものの起源は稲作の伝来に求められる

僕は「ニートになりたい。ニートになりたい。」って言い続けてきて、実際ぶらぶら生きられるようになった。

”勤め人”というものを研究しないと”非勤め人”にはなれないって思っていたから、真剣に勤め人の研究をした。

そこでわかったのは、「勤め人」は稲作から伝わって生まれたものってことだ。

中国人と話したら「日本に稲作伝えたのは中国人だ」とかいって言ってますし、お馴染み朝鮮人が口を開くと、「朝鮮人が日本に稲作教えてあげたんだ」とかって言うし。
「金くれ」とか言うし。

日本が稲作と言う文化を受け取った場所は、どうやら今の北九州らしい。
小倉とかあの辺。

稲作が伝わった瞬間にものすごいスピードであっという間に青森県の「三内丸山遺跡」に広まっていった。
あっという間に日本の列島の最北端まで”稲作”っていう文化が広まってしまった。

縄文時代という時代は相当きつかったみたい。

縄文時代は9000年ぐらい続いた。
他の国との交流がないとまあ9000年同じことを続けるのかなって感じはする。

それであったが、稲作が伝わった瞬間に日本は稲作一本に集中するようになってしまった。

稲作の良い所は、一年中食物を蓄えておけるから飢えないこと。
狩猟採集の民のように、「何か運が悪かったら飢える」ということはない。

厳密には、稲作も天気が悪かったら飢えるけど、”食料生産能力”が全然違う。
狩猟採集民は全然飢える。

飢えた時に”最新テクノロジー”の農業をしてる人は「ちょっと米やるから俺の代わりに働いてよ」って言う。
それがどうやら勤め人の始まり。

狩猟採集民「ちょっと腹減ってしんどい」という人が里に下りてきて、「米三食食わしてやるから、1日働いてね」って言われて雇われる。それが勤め人の始まり。

 

結局「勤め人」を雇う時に何が重要かって言うと、「雇われる人は飢えてる」という事が一点。
あと、「雇うために必要な物」っていうのは成果じゃない。労働力の再生産費。要は飯。

「ここ新しく畑開いてね」って言れれて開いても、その開いた土地は事業者のもの、オーナーのもの。
労働の対価として与えらるのは三食分の米と寝床。全く同じ。

明日も体を維持させるために労働する。

もう全然変わらないですね。
今の勤め人と。

 

資本主義の重力によって、人は魂を縛り付けられる。 

 

農業で独立できるようになったのは、鉄の自家生産が可能になったから

日本史とかで出てくるのかな。僕もちょっとあんまり正規の教育を受けてないので、正しいかどうかをよくわかってないけど言わせてもらう。
公地公民と言い、人・国民は全部国のものにする。
要するに純粋に”奴隷”みたいなもの。

そんなことができていたのは、農機具と言う鉄製の農具を国家が独占していたからだ。

 

当時、鍬とか鎌とか、そういうものは全部朝鮮行って買っていた。
国産で鉄って冶金ができなかった。
青銅器も確か日本は作れななかった。

青銅を作れるのは周王朝とか中国の周、あとギリシャとか。

ああいうところで青銅技術が起こってて、日本ではあんまり青銅技術っていうのは盛んじゃなかった感じ。

だから木鍬というの使った。でも木鍬じゃ全然土耕せない。
だから農地を新しく開墾して広げるっていう場合、鉄の農具っていうのが必須だった。

しかし奈良町の頃とか平安朝の頃は鉄製の農具は非常に貴重だったから、農業する”小作人”みたいな人たちはもう従うしかない。

そんな時代だったけど、平安の後期から”鉄”を自分達で作れるようになった。まさに技術革新。

日本はその辺の山を崩せば結構鉄鉱石あるし、何よりもその燃料の木炭が多かった。
いくらでも木が生えてくるという恵まれた気候だったから、鉄が自家生産できるようになってしまった。
鉄が自家生産できるのは関東とか。

「未開の地」を開墾できるようになって、その地方地方に独立の農家ができる。

 

これはの武士の起りでもある。
平安とか奈良朝の頃はビジネスモデルをパクることもできなかった。ここでは道具パクらないと開墾できない。

その鍬という道具も、摩耗してなくなっちゃう。
自分で使い切ってしまったら飢えるしかない状況だったのに、冶金という技術革新が起こったことで、鉄の鍬とかが普通に作れるようになった。

そうやって鎌倉・室町と爆発的に食料生産の伸びていった。
やっぱり技術革新は人の”創造性”や”好奇心”、"挑戦意欲"みたいなものを解放する。

 

今の時代に話を無理やり紐付ける。
今のインターネットの時代は広告宣伝を自分でツール・チャンネルを持てる時代だから、すごくビジネスがやりやすい。

まさに鎌倉時代中期の日本中どこでも鉄の鍬とか刀とかが作れるようになったのと同じ。
今までの制限が外れたことによって、すごく起業とか商売がしやすい時代になった。

僕ごときでぶらぶらできるようになったのは、インターネットの力もやっぱちょっとある。

「不動産」もそうだ。インターネットの力が大きい。ほとんどの不動産屋さんはインターネットが使えない。
そのおかげで勝ちやすかった側面もある。

あとは、オーディオブック。僕自分で作って売っているけど、これもやっぱりインターネットのおかげ。
鎌倉・室町と食料生産が爆発的にできるようになったのは、「村とかで、野鍛治みたいな人たちが気軽に鉄作れるようなったのが関係してる。

インターネットという技術が解放されて、広告宣伝のツールを自分で持つことができて、大概のことはネットでググればわかるのも技術革新の時代を表していると思う。

今回はこのところで。

再见。

 

参考:

話は少し違うが、狩猟採集時代から農業革命にどうやって至っていったかがわかる本。
ホモ・サピエンス(ヒト)が、なぜここまで繁殖したのかも理解できる。

「農業革命は人間を幸せにしたのか?」ていうお題は興味深かった。
確かに飢えなくはなったが、働く時間は増えたから。皮肉なものだ。
勤め人の世界にも言えることだな。

【歴史回】

木下藤吉郎 その1【勤め人処世術】間違いなく日本史上最強の新入社員だった男の話

【オナ禁と歴史】源義経とオナ禁の話。精子の出しすぎで、体調が悪くなり無気力になっていく義経。

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